コラム

「検討材料」

奥野 彰文(統計基盤数理研究系)

友人に誘われ、人生で初めて競馬場へ行きました。さながらテーマパークを思わせる会場は想像していたよりとてもきれいで、屋台もあり、まるでお祭りのようでした。

当初はただ馬を見て帰ろうと思っていたのですが、せっかくということで、いくつかのレースで少額をかけて楽しむことになりました。とはいえ私は馬の名前さえわかりません。素人が余計なことを考えるのも野暮だということで、初回は馬の名前すら見ず、好きな数字を選びましたが、ビギナーズラックは訪れませんでした。

失意のまま昼食を挟み、次のレースに臨みました。引き続き検討材料がないので、今度は人気順を参考にしました。人気が高い馬は強いだろう、ということは容易に想像ができますが、ここで人気が高い馬に賭けるか、低い馬に賭けるかにはその人の性格が出そうです。すでに一度外しているので、小さく当てても仕方がないと思い、大穴狙いで最も人気がない馬に賭けることにしました。こちらも見事に外れました。ここから同様に大穴狙いでしたが、箸にも棒にもかかりません。

そんなこんなで最終レースとなりました。どうもこれまでより格上のレースのようで、盛り上がっています。すでに100円玉が何枚も消えており、ここまでくると多少弱気になってはいたのですが、最も人気がない馬を見ると単勝300倍を超えていて、最後も大穴に賭けることにしました。始まってみると面白いもので、最初は最後尾を走っていたのに最終盤で巻き返し、1着・2着とは僅かな差で3着に入りました。もちろん払い戻しはゼロなのですが、最終盤のみ大きく期待が高まったように思います。こうした番狂わせがあるからこそ人々は賭け事に熱狂するのかもしれません。

餅は餅屋ということなのか、場内では競馬新聞が何種類も売られていて、様々なプロによる「研究成果」が披露されていました。少ししか確認できませんでしたが、細かい情報がびっしりと書き込まれており、なかなかの精度で予測が当たっていたようです。とはいえ、強く人気のある馬が分かったとしても、手堅いほうに賭けるのか、大穴を狙うのか、どちらも一長一短です。先述の最終レースのようなレアイベントが発生することもあり、手堅くいくのが必ずしも良いとは限りません。「研究」が提示できるのはあくまでも確率の予測であって、それを見て何に賭けるのか、つまりどういう意思決定を行うかは結局個々人の選好に委ねられています。

統計学者の端くれとして他分野の研究者と話していると、このような予測を考える際にベストな方法は無いのか?という趣旨の質問を受けることがあります。場合によるとしか答えようのない質問ではありますが、基本的には無いと思っています。例えば競馬で比較的強い確信をもって言えることは、素人が十分な回数賭けるとほぼ損をする(だろう)ということくらいだと思います。期待値という言葉でランダムネスを消し、それらしい最適戦略を作ることもできますが、個々の試行ではどこまでリスクを許容できるのか、またその見返りがどの程度か考慮して覚悟を決めるしかありません。どの選択肢をとっても相応のリスクはあります。

最近お会いした方が「(本来)統計学は使えるものを何でも使う総合種目と捉えるべきだ」というようなことを仰っていました。その通りだと思います。競馬でいえば競馬新聞を丹念に読み込むもよし、一番好みの外見をした馬を選ぶもよし、その日のラッキーナンバーを選ぶもよし、玉石混交の検討材料がたくさんあり、これらを上手く活用すべきということです。そのために我々研究者は様々な研究を行い、皆様に良い検討材料を提供させていただきます…という一歩引いた立場からの言葉を述べて締め括りたいところではありますが、競馬新聞の本気の分析と競馬場の熱気にあてられて、研究生活でも検討材料の用意以上にできることがあるのではと、気を引き締める機会となりました。

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